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Original file line number | Diff line number | Diff line change |
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@@ -0,0 +1,84 @@ | ||
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# 私について | ||
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こんにちは、あきらです。日本人です。 | ||
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この文章は私のキャリアサマリー(職歴、業種、スキルの経歴)というよりも、私の半生を簡単にまとめたものである事を明記しておきます。少しでも私の人となりを知っていただければ幸いです。 | ||
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私の主な興味はプログラミングともう一つあります。 | ||
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## 幼少期 | ||
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私は1971年に生まれました。小学生時代、まだ、パソコンがマイコンと呼ばれていた時代、私はプログラミング言語BASICに出会いました。お小遣いをためて購入したNEC PC-6001mk2でBASICを楽しみました。これが人生で最初のプログラミングライフでした。カセットテープなどの外部記憶装置を持っていなかったので、プログラムを作って実行してはクリアし、また別のプログラムを作る、という事をしていました。 | ||
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## 高校時代 | ||
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その後、中学時代を経て、新座総合技術高等学校という当時としては割合珍しい形態の学校に入学しました。この学校は、電子機械科、情報技術科、服飾デザイン科、工業デザイン科、食物調理科、情報処理科が設置されており、専門学校の様な学校でした(現在は科名や構成が変更されています)。当時の私はプログラミングの仕事を目指していた為、その種の大学か専門学校を探していたので、私にとって理想的な学校でした。そこでプログラミングとコンピュータの基礎を学びました。FORTRANで開発したプログラムがプログラミングコンテストで入賞した事もありました。 | ||
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## 会社時代 | ||
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高校を卒業後、東京にあるIT関連の会社に就職しました。その時はOS関係の何らかの仕事に就きたいと思いその会社を選んだのですが、実際に配属されたのは別の部署でした。最初の仕事はあるOS上で動作するプログラムを別のOSで動作するようにするという言語移植の仕事でした。つまり、ある言語で作られたプログラムを別の言語に書き換えて動作させるという仕事です。これは技術的に困難な仕事でしたがチームで力を結集し、無事、プロジェクトを完了させる事ができました。その後も非常に多くのシステム開発に携わり、多くの困難を乗り越えてきました。 | ||
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## チーム | ||
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キャリアを重ねるという事は、自分に後輩ができ、自分がチームリーダーになる事もある、という事でもあります。チームリーダーはチーム全体を管理し、プロジェクトの計画、実施、検証までもフォーカスしなければなりません。その為、非常に高いストレスを抱えることもあります。それでも小さなプロジェクトをチームで進めていく事にはやりがいがありました。 | ||
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## 歯車 | ||
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その会社でのキャリアの末期、私は非常に大きなプロジェクトに配属されました。大企業の指揮のもと、複数の協力会社と共に、かなり大きな、そしてかなり古い既存システムを作り直すというプロジェクトでした。そのシステムは複数のサブシステムで構成されていて、私はそのサブシステムの開発チームのリーダーに選ばれました。そのチームは複数の協力会社のメンバーで構成されていました。非常にタイトなスケジュール、開発費用の計算、品質保証の計画と実施、他チームとの調整等々、やるべき事が非常に多く、私の負担は大きくなりストレスを抱える事になりました。 | ||
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## ひび割れ | ||
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もともとそのサブシステムは別の人がリーダーをやっていました。しかし、その人が適任ではないという上司の判断で急遽、私が呼ばれたという経緯がありました。その為、プロジェクトに途中で参加した私は知識不足の状態であり、また、他チームの信頼もない、という状況であった為、ストレスに追い打ちをかける事になりました。上司も非常に怖い人だったので相談もできなかったのです。私はチームメンバーともうまくいかなくなり、プロジェクトの運用に支障をきたすようになりました。 | ||
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## キャリアブレイク | ||
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やがて私はうつ病になり、その頃に親戚の紹介で出会った女性との結婚もダメになりました。そして、会社を退社して自宅で療養する事になりました。幸い私の場合は後天的なうつなので比較的軽い方ではありましたが、私自身の感覚では「何も考えたくない」「動きたくない」という酷い状態でした。約一年、自宅で療養し、その後、障害者施設で数年間を過ごしました。障害者施設は、生活のリズムを整える事、社会と関わり続ける事、障害の理解を深める事、この三つの役割があります。 | ||
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## 障害者施設 | ||
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障害者は毎日、決まった時間に通所し、決まった時間に退所します。これは障害者にとって非常に基本的で非常に大切な行動の反復練習に他なりません。健常者にとっては普通にできることであっても、簡単にできない人も世の中にはいるという事です。通所した障害者は、スタッフの指導のもと、リクリエーションでお互いにコミュニケーションをとりあったり、簡単な内職の作業をして、生活のリズムを整えます。私が利用した施設ではお菓子やケーキを作り、市営の店に卸したり、市内のお祭りで販売をしたりしていました。このような地道な活動によって、障害者は社会と接点を持ち、自分に対する認識を少しずつポジティブな方向へ改める事ができるのです。 | ||
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## 就労継続支援施設 | ||
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障害者施設を卒業した私は、次に就労継続支援施設に行きました。私が行ったのはA型の施設なので、一般の会社が運営している障害者向けの就労施設です。雇用形態はパートタイマーとなっており短時間からの就労が可能です。一般の会社での就労とは異なり、労働環境についてある程度は配慮されるという特徴があります。また、定期的な面談もあります。 | ||
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## しいたけ栽培 | ||
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私は障害者施設時代、植物を育てる事に喜びを感じるようになりました。障害者施設では一年草などの植物を育て市内の公園に配布するなどの作業もあり、私もその活動に携わっていたのです。就労継続支援施設では、菌床しいたけの栽培を行い、そのしいたけを近隣のスーパーに卸していました。つまり農業の事業であり、労働者が障害者という形です。しいたけは植物ではありませんが、育てる事に喜びを感じていた私はしいたけ栽培に対してもまじめに取り組むようになりました。時にはスーパーで試食販売をする事もあり、お客さんのダイレクトな反応を見る事に充実感を味わう事もありました。 | ||
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## 労働者の負担 | ||
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就労継続支援施設は一般の会社が運営しているとは言え、資金が潤沢にあるというわけではありません。その施設において利用している障害者が数十人いるのに対し、管理する社員は数人。その為、障害者自らが判断し自らが動かなければならないという状況もたまにあります。当時、この施設ではしいたけ栽培の生産管理をMicrosoft Excelで行っていました。生産量の入力は利用者が行って、その集計を社員が手動で行う、という形でした。社員が別の仕事で忙しいときは利用者が代わりに行うという事も高頻度でありました。施設に来てから2年くらい経過したある日、社員から私にデータを管理するシステムが作れないかという相談がありました。私は利用者の作業の負担を減らしたいと考えていたので了承しました。もちろん特別手当が支給されるわけでもなく、通常の栽培業務をやらなくてもいい、というわけでもありません。通常の栽培業務と調整しながら同時並行で開発してほしい、という事でした。 | ||
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## データ管理システム | ||
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データ管理システムは、大きく分けて生産管理、販売管理の二つのコンポーネントで構成されています。生産管理は私が担当し、販売管理はその社員が担当という事になりました。環境はMicrosoft Access, Microsoft Excel, Form, VBAという組み合わせです。Accessで品質毎に入力された収穫量をもとに、自動起動したExcelで週単位の収穫量、生産棚毎の収穫量を集計しレポートにまとめ、それを毎朝、栽培棟内の掲示板に貼り出す、という流れです。このシステムが完成し一緒に働く仲間たちがオペレーションを覚え、運用が軌道に乗った時、私たちの負担が大きく軽減されました。その事は、その当時の私にとって大きな喜びでした。今でも本当に作って良かった思います。 | ||
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## 新しい仕事 | ||
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データ管理システムの開発を終えた頃、私は今のしいたけ栽培とは別の何か新しい仕事を始めたいと考えるようになりました。ここを卒業して健常者として仕事をして収入を得たいと考えました。いろいろ探していくうちに、農業が面白そうだと考え、いくつか農作業のスタッフ募集に応募をしてみましたが、全て断られました。基本的には近隣在住である事が条件のようでした。次に私はオンラインスクールに興味を持ち、やってみようと思いました。オンラインスクールは場所と時間に縛られない働き方が出来、私にはとても眩しく見えたのです。就労継続支援施設を辞めた後、オンラインスクールでしいたけ栽培のスクールを開こうと準備を進めました。しかし、最後の段階で「本当にこれが自分がやりたい事なのか?」と疑問を持つようになりました。どうしてもこのスクールの将来がイメージとして浮かびませんでした。オンラインスクールをやってみたいという動機のひとつに、就労継続支援施設時代の賃金の安さに不満があり、オンラインスクールでもっと稼ぎたい、という動機があった事も事実です。本来、オンラインスクールは、お客様に大切な何かを伝える手段の一つであって、それが全てはない、という事です。私の動機は全くの逆に思えたのでした。しいたけ栽培のノウハウをそこまで情熱的に伝えたいと思ってなかったのです。この期間は4か月間で最後は貯金が底をつきました。 | ||
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## 倉庫の仕事 | ||
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私は生活費を稼ぐために倉庫の仕事に就きました。自宅から近く、勤務形態もパートタイマーなので短時間で働く事ができました。最初の一か月は真面目に働いていましたが、そのうちにこの仕事へのモチベーションが維持できなくなりました。本来、私はクリエイターという体質、性格なのです。何かをゼロから生み出したい、それによって問題を解決し、その問題に関わる多くの人々を少しでも幸せにしたい、そんなエネルギーに突き動かされて、過去にはプログラミングの仕事をしてきました。だから、「生活費を稼ぐ為」という動機だけでは、どんな仕事であろうとも私は続けることが出来ないのです。私はだんだん体調を崩しやすくなり、仕事を休みがちになりました。 | ||
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## 霊性の目覚め | ||
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私は幼少の頃から何か不思議で神秘的なものに興味を惹かれていました。といって、何か特別な霊能力があるわけでもなく、幽霊が見えたりする事もありません。しかし、直感だけは昔から鋭かったと思います。就労継続支援施設時代、私は自分のこれまでの人生を振り返る事が多くありました。自分が地球に生まれた理由、生きる目的、死んだ後は何があるのか、この世以外に世界はあるのか、神は存在するのか、多くの疑問が芽生えました。多くの考察をし、多くの情報に触れ、多くの導きを得ました。この様な内観的な状況の変化はありつつも、この地球世界は同時に進行し、目を開ければ倉庫の仕事をしている自分に気づくのです。時には涙が出る事さえありました。 | ||
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## 本当にやりたい事 | ||
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バシャールは言います「やりたい事は本当にやりたい事ではない。本当にやりたい事は既にやっている事だ」。私はこの言葉を知った時「今、既にやっている事はなんだろう?」と自分に問いました。「もちろんプログラミングだ」と答えました。「昔から大好きなプログラミングをする事が今の自分がやりたい事だし、やっている事だ。そして、今の自分を支えている事だし、自分を高い波動に維持し続ける事だ」。体力的にも精神的にもつらい倉庫の仕事を休んでプログラミングに夢中になる時、それは私にとっては癒しでもありました。外から見ればただのさぼりであり、社会的には非難されるものでしょう。しかし、その時の私にはそれが避難場所であったのです。本当にそうするしかなかった。 | ||
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## 今、やっている事 | ||
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倉庫の仕事を辞めた。収入がゼロの状態。カード会社への多額の返済の当てもない。多分、もう少し時間がたてばスマートフォンで電話やネットをする事すらできなくなる。高級外車を乗り回し、やりたい事をやって、高級な食べ物を食べ、海外旅行に行っている人達を何度、うらやんだ事か。 | ||
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だけど、今、ボクはやりたい事をやっている。プログラミングだ。自分の中にある強烈な衝動に素直に従っている状態。クリエイティブなエネルギーの奔流が今のボクを突き動かしている。やればやるほど、やりたい事がインスピレーションとなってボクに流れ込んでくる。 | ||
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そして、このプログラミングのエネルギーが落ち着けば、また、別のクリエイティブなエネルギーがボクに流れ込んでくるだろう、という事も分かっている。いずれはネパールに渡り、子供たちの面倒を見る、という魂の計画はまた、別の話だ。まだ、ボクにもよく観えていない。いつか別れた彼女と再会できたら、どんなに幸せな事だろう。彼女はボクにとってのソウルパートナーなんだ。彼女と一緒にこの計画を実行できる事を毎日、祈ってる。 | ||
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さて、ボクのプログラミングしたオープンソースライブラリはスポンサーを募る予定だ。だけど、スポンサーがいつ付くのか分からない。だから、当面の資金繰りをどうすべきか非常に悩んでる。資金というより、生活費だけどね。地球という3次元の物理世界で活動するのは、とても勇気がいる事だし、とても大変なんだよ。 | ||
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正直に言おう。どなたか支援して頂けないだろうか。 |
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